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MIYAZAKI神楽画帖

​神楽を伝える村へ

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山を越えて行くと、遠い峰の向こうから、神楽笛の音が響いてくることがある。宮崎県には、総数300座を超える神楽が伝承されているが、秋から冬、そして春へかけて、それらの山深い村々で、終夜、神秘の舞が舞い継がれるのである。神楽の場に、荘厳な仮面神が現れ、優美な舞が舞われるとき、そこには、勇壮な国家創生の英雄たちの物語と、古くからその土地に座し、人々の暮らしを見守り続けてきた土地神たちの織り成す絵巻が繰り広げられる。

――焚き火の煙、焼酎の香り、太鼓の音。舞人、旅人、村人、子供たち。吹きすぎてゆく風、舞い散る小雪。広大な山脈に交響し、繰り広げられる「祭り」は、わたしたちが「かなた」へと置き忘れて

きた、風土の記憶であり、山と森の精霊神たちの物語である。

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神々の降臨/諸塚村「戸下神楽」にて

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九州脊梁山地の神楽では、地区の鎮守神社や集落の氏神を祀る神社などで神事を済ませた後、神楽の一行が、当日の「神楽宿」へと舞い入る。諸塚神楽では、地区のそれぞれの家に伝わる神面を、仮面を伝える家の当主がつけて行列に参加する。高千穂神楽では、猿田彦と天鈿女命に先導された一行が、集落を舞い巡り、神楽宿へと向かう。神面は神職が捧持する。日之影・大人神楽では、一行が400段の石段を舞い降る。米良山系の神楽では、神社ごとに神事をした後、各神社の神職が神面の入った「面箱」を背負い、または捧持して、神楽宿へ向かう。これを「面様の行列」と呼ぶ。いずれも神々の降臨を具現化した儀礼というべき風景である。

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献餞・猪頭を捧げる儀礼/西米良「村所神楽」にて

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前日、御神屋が設えられ、当日、神社での神事の後、集落を廻った神楽の一行が「神楽宿」に舞い入り、いよいよ神楽が始まる。神楽開始にあたり、神前に神酒・米(餅・古例はしとぎ)・魚鳥・野菜・果物・穀物などが供えられる。これを「献餞(けんせん)」という。西米良・村所(むらしょ)神楽では、十頭前後の猪頭と弓矢が添えて奉られる。東米良・銀鏡(しろみ)神楽でも同じく猪頭が奉られる。いずれも神官装束の社人(しゃにん)・祝人(ほうり)が盆に載せた猪頭を捧げ持ち、供えるのである。

 初めてこの儀礼を見たのは、今から30年ほど前の銀鏡神楽でのことだったが、自分の生まれ育った村(九州北部・英彦山猟師の狩りの古法を伝えていた)で半世紀以上も前に消滅した狩猟儀礼が、圧倒的な質量でここに実在したのである。そして、神楽後半には、「山の神信仰」と「狩猟儀礼」が神楽の番付の中に組み込まれていた。それこそ「山人(やまびと)」たちが伝えてきた列島基層の文化であった。私は身体が震える思いでそれを見た。それが、神楽探訪の旅の出発点であった。

      

椎葉神楽では、猪1頭が奉納され、御神屋中央に吊り下げられて、その下で一晩中神楽が舞われた時代があったという。今でも、神前(民家の床の間の場合が多い)にまるごと1頭が捧げられているのを見ることがある。白紙に包んだ肉片を天蓋の中央に吊り下げる例もある。諸塚・南川神楽では、今年(2019)、猪頭1頭の奉納があった。以前、奉納した年には、記録的な豊猟だったという。高千穂神楽でも奉納された例があるが最近は見る機会がない。

民俗学では、この猪頭や鹿頭を奉納する事例を「贄(にえ)」「供儀(くぎ)」などと表現するが、私はその語義に少し違和感を抱く。贄や供儀という感覚は、渡来民・稲作民の思想で、平地民の心象である。恐ろしい祟り神である先住神に供え物をして、荒ぶる魂を鎮め、五穀の豊穣を祈願するのである。生贄や人身供儀などは、荒ぶる神のご機嫌伺いに類する退化した観念であろう。神楽の献餞は、あくまでもその年の収穫物・獲物を神に捧げ、祀り、祝い、感謝の心象を表して来る年の豊作・豊猟・子孫繁栄を寿ぐのである。「餞供撒き(せんぐまき)」とは供物である餅を撒き、その幸を分け合う。「撤下餞(てっかせん)」とは、お神酒のお下がり。銀鏡神楽では猪狩りの神楽「シシトギリ」のあとで一椀の「猪雑炊(ししぞうすい)」が振る舞われる。祭りが終わり、神餞が撤下され、その神霊の宿った食物を共にいただく「神人共食(しんじんきょうしょく)」。大いなる自然神と人間とが一体となる儀礼である。猪頭・鹿頭を祀る儀礼は、狩猟採集民・先住民=山の民の謙虚で誠実な「神」との交歓風景であろう。

 

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諸神を迎える神楽

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 神楽開始は、「神迎え」の神事舞である。設営された御神屋を誉め、神々の降臨を請う神楽である。


諸塚・戸下神楽の「拝み」では、6人の舞人が御幣を捧げて静かに御神屋を舞い廻る。先導はお神酒を載せた盆を捧げている。神楽の祖形を思わせる。


高千穂神楽では、「御神屋誉め」で太鼓に合わせて諸神勧請の唱教が唱えられる。日之影・大人神楽では「森の唱教」という。信州・遠山の霜月祭りでも類型の唱教があり、天神地祇、諸国の神社の祭神などを招じる。延岡・盲僧琵琶でも諸神勧請の長い祭文があり、全国津々浦々の神を招き出したが、永田法順師の逝去により途絶えた。
高千穂神楽では、長い唱教の後、「太殿」が始まり、その途中で「彦舞」があり、先導神猿田彦が降臨する。

宮崎・生目神楽では神官が御神酒の入った瓶子(へいし)を捧げ持って舞う。米良山系の神楽では「清山(きよやま)」という。いずれも御神屋を祓い清め、その見事な設営を誉めて神楽の祭神を迎えるのである。

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​花の舞

1神楽序盤の「式三番」の二番にあたる。地域によって呼称が異なる場合があるが、少年二人が烏帽子を冠り素襖を着し、背に小幣を十文字に差し、上の地は右手に鈴、左手に扇子を持って舞い、下の地は、右手に鈴、左手には盆に榊葉を盛り、捧げて舞うという共通する形式がある。盆に持った榊葉は、舞の後半で後方に投げられる。山霊の象徴である榊の葉が、魔を祓い、場を清めるのである。米良山系の神楽ではほぼ同様式だが、四人または六人で舞う地区もある。
西米良村・村所神楽では「天仁」といい、宮中で舞われた稚児の舞をその源流と伝える。奥三河の「花祭り」では、あざやかな衣装を纏った少年二人の「花の舞」が序盤の花型舞である。
いずれも、清らかな少年の舞によって神楽の場を清め、結界を画定する神楽である。
近年、女性の舞人二人が舞う例もある。巫女舞をその源流のひとつと捉えれば、自然な流れとみることができる。

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​地割

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​ 地割

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神楽序盤の「地割」「地固」などは、太刀を採り物に舞う重厚な演目である。太刀の霊力で土地の霊を鎮め、神楽の場を画定するのである。諸塚神楽では、まず、舞人四人が右手に鈴、左手に榊の葉を持ち、その榊の葉を虚空にかざしながら、静かに舞う。舞人の視線の先には九州脊梁山脈の山々が連なる。榊葉は山霊の象徴である。後段で太刀を抜いて舞う。西米良村村所神楽の地割は、二時間を要する大曲である。ある年、南国には珍しい大雪となり、みるみる御神屋に雪が降り積もったが、舞人たちは一糸乱れず舞い終えた。舞の各所に呪術的な所作が入る。椎葉神楽では、「一神楽」で太刀を手にした舞人が出て、その太刀を神棚の前に置き、観客の中に入って盃を交わす。一人ひとりと挨拶をし、盃のやり取りをして次の客へと移り、それを繰り返して、延々1時間ほどもかかる。その間に舞人は酒量が過ぎてしたたかに酔っているが、太刀を採り、御神屋に戻って激しい舞を舞いこなす。村人からやんやの喝采が送られる。それから、榊の舞、襷の舞、太刀の舞と舞い継がれて、4時間ほどもかかる。これが「地割」一曲だということに気付いた時、神楽における地霊鎮めの舞「地割」の持つ意味がはじめて理解できたのである。「地割」を舞い終えて、いよいよ神楽本番の幕開けである。

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     神降し

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 神楽「式三番」が舞い終えられ、御神屋が清められて、いよいよ、地主神や地区の氏神の降臨となる。それぞれの神は、もともとその土地に座す先住神や村の鎮守神などである。それらの神を迎える前に、清らかな素面の舞が舞われる。「地舞」「招神の舞」などと呼ばれる採り物舞である。手に持った鈴や御幣、笹、榊、扇などが激しく振られる。これらの採り物は、神の依り代となる呪具である。
高千穂系の神楽では
――注連引けば ここも高天の原となる 集まり給え 四方の神々
米良山系の神楽では
――清山に 今日引く注連は金が注連 四方の神をや 請いてまします
などと神歌が歌われる。

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鬼神/地主神出現

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 神楽の鬼神とは、祖霊神である。すなわち村を守護し、人々に幸を与える「善鬼」である。
日本民俗学の創始者・柳田國男は、概略「鬼とは、上古、制圧された先住民が山に籠り、あるものは時代の推移とともに討死、あるいは自然淘汰による子孫断絶、信仰界を経て里人と同化し定住したもの」と定義した。現代の視点でみれば多少の異議もあるが、神楽の鬼と柳田が提示した鬼の観念とは共通項が多い。平地人にとっては恐るべき鬼も、山に依拠する人々にとっては、丁寧に祀り、親しく交わる「神」であり、山岳や巨岩、水源、巨木などに宿る自然界の精霊そのものであった。神楽序盤に出る鬼は、境界を守る神、先導神などの性格も持つ。神楽の一行を当夜、神楽宿へと案内するのも鬼神・猿田彦である。

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