小鹿田焼ミュージアム 溪聲館
2016-7月20日 開館
九州北部にそびえる霊峰英彦山の東麓、日田・小鹿田焼の里に隣接する「ことといの里」に
[小鹿田焼ミュージアム溪聲館]が開館。江戸~明治期の古作300点を収蔵・展示する研究・交流施設です。
[豊後の民陶・小鹿田焼の郷愁]
小鹿田焼は、昭和二年、民藝運動家・柳宗悦によって見いだされた。旅の途上、立ち寄った一軒の陶器屋に並んでいた雑器がそれであった。
柳宗悦は、その美を、唐宗の焼物に匹敵し得ると評価、四年後、自ら小鹿田の土地を踏んだのである。そして昭和二十六年、英国の陶芸家・バーナードリーチ氏を伴った柳氏の再訪によって小鹿田の評価はゆるぎないものとなる。リーチ氏は、小鹿田に滞在し、その技法を学び、また自身の美学を教授した。
小鹿田の歴史は、三百年余。高取焼の系譜を引く小石原の分窯である。したがって、日本の陶芸史の中では後期の創窯にあたるが、諸方の窯が次々に近代化され、変貌を繰り返したのに比し、この窯は、世襲制の原則を貫き、伝統手法を守り続けてきた。
日田市の山奥に位置するという地理的環境、主として農村地帯の日常雑器を作り続けてきたという歴史などによって、日本の陶芸の古法が守り伝えられてきたのである。
トビカンナ、刷毛目、打ち掛けなどの技法は、李朝陶芸の手法を彷彿とさせ、飴釉や黒釉などには、柳氏が指摘したように古代中国の陶器に比肩し得る作がある。また、茶壺、大甕、
大型の口付き徳利・雲助などには、庶民の日常生活から生み出された自由闊達なデザインがあり、味わい深い。
これらの実績により、小鹿田焼は平成七年、「国指定重要無形民俗文化財」に指定され、
平成八年には「日本の音百選」にも選出された。唐臼がのどかに土を挽く音を立てる小鹿田の里は、文字通り、集落全体が生きた文化財であり、後世に残し伝えられるべき歴史遺産なのである。
上記写真は「由布院空想の森美術館」(1986-2001)で1998年に開催した「小鹿田古陶展」の
ポスターに使用したもの。同館の中庭で撮影した。折から山桜・楓・ヤマボウシなどの紅葉が散り敷き、民陶・小鹿田焼にふさわしい背景となった。文章も同展のものに加筆。「小鹿田古陶展」は1989年にも開催。この時のコレクションをもとにその後収集を加えた200点が、同館閉館後も当時のスタッフたちによって大切に所蔵され、「小鹿田焼ミュージアム溪聲館」の開設へと結びついたのである。